社会人となって
 


 昭和29年

看護学校に入学

学校では 寮生活 女の子40名の{口から先に生まれたような女の子勢ぞろい}

 当時の高等学校進学率は13% 

この学校では、そこそこ難しい入学テストがありました

地域の中学校のいろんな家庭事情から高等学校へ進学を許されない子たちが、集う、准看護専門学校
全寮制ですから、寮生活は、朝の起床時間、朝礼、昼間の授業・・・

二年後に資格試験に合格するまで~~~

(*´Д`) 「貴女たちのことは、全て私の責任ですから~」

 毎日、教務主任の言葉で・・・追い回され、資格試験と戦いました。


 でも、ここでの寮生活は、(終戦後の物のない時代に育っているために)、身体管理上では、ありがたいことだったと思います。

まず、その日の食品の心配はなし。

大きな病院ですから、大体、患者さんと同じものをいただいていたと思います。
(但し 学生用は特別です、野菜は、端っこ、魚は頭)

ところが、成長期の娘たちは器だけを残して全量摂取 いい娘ばかりでした (笑)




 



30歳代

3人の子たちが揃って、みんな勉強きらいです

小学校の家庭訪問の時に担任の先生にお尋ねしました
「先生?子供が勉強をしないのですけど?」

すると、即答!
「お母さん、勉強をしていますか?」

問答無用((笑))

翌年、33歳で通信制の高校学校に入学しました
4年で卒業


これは、家族に大きな影響を与えました

子供たちはいろいろと、家事を手伝ってくれました
一番うれしいことは、それぞれが、机に向かうようになったことです


結果


夫を含めて
家族の全員がそれなりの資格免許を得て
社会人として生きています




40歳代


通信制の高等学校を卒業して
看護学校(正看護師)へ進学できました



新しい教育の中で個人的に、自分の将来のこと(介護)も考え始めました



(余談ですが、NZなどでは、この年代で医学部に入学をされる方が多いそうですよ)





50歳代

個人的には、最後の段階、職場を代わり
仕事もハードになりました

社会的には、職場が医療の現場であるために研修会などでは、今後のことなどの説明がありました

その中で、それぞれ、個人的には、退職後の準備

職場が認めた(職場に入ってこられる)銀行さんなどのニュース、おすすめなどで保険などをかける人が出てきました。

私も、葬祭用の保険とか、個人年金・・・まさしく、よれよれ老人対策をしました。


60歳 直前に介護保険の説明会が市内の大きなホテルに大勢(人数不明)三日間通いました。
同時にケアマネージャーの受験の話もありました


60歳

定年退職をしました。
これから、一人で行う、(介護なしの人生)の出発です。

 






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